この度、徒然日記を書かせていただくことになりました小原隆介と申します。私がJCに入会したのは「地域のために活躍したい」そんな格好の良い動機ではなく諸事情で自暴自棄になっていた自分を何とかしなければと思ったのが理由です。以前千歳のJCに入会していたがその時に先輩が叱咤激励をしてくれたことが心の底にあり、もう一度自分を正してくれる仲間が必要だと感じました。アカデミー塾の米田塾長は、私のダメなことは厳しく伝えてくれる、そんな親分肌の存在が有難かったです。同期の塾生とも友情が芽生え半年間の塾生活が終わった。塾長からは「お前ら俺を寂しくさせろ」と総務委員会に送り出された。パソコンを使いこなせない私にとって理事会の議事録作成は正直言って辛かったが少しずつ文字が打てるようになりました。当時の藤専務に、なぜ私が総務委員会に配属されたのですか?と聞くと「何も出来なそうだから」と笑いながら応えていた。確かにその通り、メガネを売ること以外は何も取柄がなかった。
 そんなある日、青山さんから「地域経済活性委員会の委員長を受けてほしい」と電話が入った。委員長の大変さも知らず「はい」と快諾した。まさに私の人生観を変える1年の始まりでした。早速、委員会の運営方針を作成して当時の廣澤副理事長、青山室長や委員会メンバーにレクチャーを受けて理事会の上程に臨んだが「委員長の想いが伝わらない」「何をやりたいのだ」と叩きのめされた。苦労して作った方針だが理事者の皆さんに納得のいく答弁が出来ない、自分自身が情けなくて懇親会の席で涙した。同期委員長の中でも一番上程が下手だった。再度レクチャーを受けて何とか審議を通過して委員長としてようやくスタートラインに立てた。安堵も束の間で4月例会の準備が始まった。その後、丹羽副委員長と日沼幹事をはじめ委員会メンバーが私を支えていただき納得のいく例会が出来た。しかし、その時期になってもインターネットを通して地域の情報を発信したいと思いはあったものの最終的なゴールを具現化すことが出来ず7月事業の議案書作りが始まった。協議の前日に議案書が出来上がり藤さんに確認をしていただいたが、しばらく議案書を黙読していた彼が口を開いた。「もう一度最初から作り直そう」えっ!耳を疑う言葉だった。するとパソコン上の背景、目的、効果、全ての文章を消し始めた。時計を見ると夜中の12時、頭が真っ白になった。それから皆で議案書を作り直して出来上がったのが朝の4時だった。結果的に再度作り直した議案書の方が私の腹にストンと落ちた。その後「行政や観光協会がフェイスブックを開設して地域資源の情報を発信して欲しい」という最終ゴールを掲げることが出来ました。九州の武雄市役所や網走市観光協会を調査の対象としたが伝手が無かった。松本専務が「武雄市役所を紹介して欲しい」と武雄JCの石丸専務に連絡を入れ、武雄市役所のフェイスブックシティ課を紹介してくれた。そこで改めて青年会議所の規模の大きさと友情を感じました。結局、武雄市役所と網走市観光協会に6名もの委員会メンバーが身銭を切って現地まで足を運んでくれました。特に武雄市の取り組みは素晴らしく地域資源はもちろん、災害情報までもが地域住民と情報共有が出来ていた。我々の熱い思いが伝わったのか、それらの取り組みを我々の例会で行政、観光協会にプレゼンしていただけるというのだ。
 あとは行政や観光協会に例会の参加要請をするのみ。当時の青山室長が「岩倉市長に前プレゼンをしよう」と言い出した。えっ?誰がしますか?「もちろん小原委員長がしなさい」青山室長も妥協を許さなかった。早速資料を作成して岩倉市長のところへ向かったが緊張して手と足が震えていた。結局、私の30分ものプレゼンに岩倉市長は真摯に耳を傾けてくれました。最終例会では、武雄市フェイスブック課の池田氏を講師に迎え、行政、観光協会、商工会議所の方とパネルディスカッションを行いました。岩倉市長の挨拶では「フェイスブックを前向きに検討する」と言って頂いた。正に嘆願していた言葉で涙が出た。我々が行動を起こさなくてもいずれフェイスブックを開設したかもしれませんが、有意義な情報を与えられたことは良かったと思っております。
 委員長時代を振り返ってみると、議案書も満足に書けない、理事会での答弁も下手、リーダーシップも満足に取れない、そんな私が一年を全う出来たのは、周りの人に助けらたからです。「大丈夫だから」と安心を与え信じてくれた吉本理事長、「靴底を減らして調査をしろ」と発破をかけてくれた廣澤副理事長、「そこの道に進んだら崖だ!」と私の方向転換をしてくれた青山室長、苦しい時もずっと私の側で見守ってくれた丹羽副委員長、「肉、美味しいですね」と言いながらプレゼンをしていた日沼幹事、やっていないフリして陰で資料作りをこなす片岡さん、アンケートをまとめてくれた近野さん、最終年度なのに頑張って支えてくれた牧田さん、限界を突破させてくれた藤さん、とことん現地調査に出向いてくれた矢農さん、地域の情報をくまなく調べてくれた渡辺さん、下支えをしてくれた畑谷さん、そして私の上程を通してくれた理事者の皆さん、以上の方々にこの場をかりて御礼を申し上げます。
 また、委員長の翌年に気づいたこともありました。「もう一度最初から作り直そう」と言った藤さん、この言葉は中々言える人が少ない。良い意味で壊し屋だ、下手したら嫌われる可能性もある。私なら、少しだけ内容を変えた方が良い、もしくはこれで良いじゃないと言う、周りの雰囲気を壊さないようにと無難なことう言う悪い癖がある。リーダーとして部下を迷わせ古い制度から脱却できないタイプだ。しかし壊し屋は自己主張をして改善を繰り返す、これはJCや企業にとっても大事な存在だと思います。そんな役を演じてくれたことにも感謝をしたい。
 最後に、2代目3代目後継者の方に聞いてもらいたい。親がいるから自分の地位が安泰している、私みたいな人です。先ずは自分のことを厳しく叱ってくれる人を一人でも良いので見つけて下さい。そして仲の良い人だけでつるまず自分の苦手な人でも目を背けずに向き合うことも修練だと思います。JCはそんな人間関係を学ぶ場でもあります。会社では自分より古い番頭さんがいる場合がありますが、そんな人生の先輩を大切にしていただきたいと思っております。
 以上、私が委員長時代に経験したことや気づきを長々と書かせていただきましたが乱文をお許し下さい。そして、今後の現役メンバーのご活躍を心からお祈りを申し上げます。
 最後までお読みいただき誠に有難うございました。

<LOM運営委員会より>
JCのすばらしさ、委員長の大変さ、仲間への感謝の気持ち、そして我々現役メンバーに対する熱い想いを書いていただき、誠にありがとうございました。先輩からの言葉を大切にしこれからの活動に活かしていきます。小原先輩ありがとうございました。

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