2004年度 北海道地区大会 苫小牧大会を振り返って

 2005年度卒業の高木です。私は卒業まで10年ほど在籍しておりましたが、入会当初からスケートまつりなどの事業が多く、例会が月1、2回だけだからと勧誘された分、戸惑いも大きくエライとこに入ったと感じましたが退会するつもりはなく、卒業までのプランを立てたのを覚えてます。それは例会はなるべく出席する。事業は仕事に支障がでない程度にすること。そして卒業までのラスト4年間で、出向理事、委員長、室長、監事までやって卒業しようとプランでした。

 結果として、思惑どおりに卒業することができました。JC在籍時には色々な方と交流することが出来、今でも財産になったと感じております。当時お世話になった皆さんにお礼と感謝申し上げます。

 さて、来年度 北海道地区大会苫小牧大会主管にあたり、前回苫小牧大会の式典・卒業式部会長として当時を振り返りたいと思います。

 前回苫小牧大会は2004年度で、前年は苫小牧JC50周年もありイベントや事業が目白押しで例年の事業の他に、「山下 清展」、「ディズニー・オン・アイス」など毎月のように事業がありました。(その年、私は総務広報渉外委員長で週に5日はJC活動してました。)
 その次の年に地区大会主管です。2003年、2004年と役職を受けた方は非常に負荷のかかった年だと思います。2003年の後半から地区大会主管の話も理事会ででたりし、2004年度の事業室長と地区大会の式典卒業式部会長と掛け持ちで進めなければいけない体制でした。

 事前に前回大会の資料がなく、上程書もまるっきり最初から作った記憶があります。当時はまだ、PCやソフト、アプリケーションなどが途上だったので、動画作るのも時間が掛かった時代でした。
 大会に向けての会議もLOM内での会議(理事会など)と、北海道ブロック協議会との会議があり、LOM内でまとめた上程も協議会で弾き返されることも多々有り、皆が疲弊していたと思います。
 ただ、誰もが屈することなく、諦めることなく立ち向かい、苫小牧JC主管の地区大会へと向かいだしました。
 その間にもLOMでは事業室としてスケートまつりと港まつりの事業参画を篠田、丸屋両委員長を先頭に進めていただきました。
 港まつりが終わると直ぐに地区大会がやってきます。一方で委員会メンバーへの説明、一方で式典と卒業式の準備が少しずつ進められていきました。
 私の上司にあたる髙橋憲司君には特に色々尽力してもらいました。開会前1週間は私は髙橋君の会社の事務所で毎日徹夜で作業し、朝の7時すぎに仕事前にシャワーを浴びるために家に帰る日々でした。
 やれることは出来たのか?これ以上できることは無いのか?これでいいのか?皆が自問自答してきたかと思います。
 迎えて当日、たぶん当時の苫小牧JCの皆もすべてを観て感じる時間は無かったと思う。いらっしゃった全道のJCメンバーに満足いくおもてなしができたかはわかりませんが、皆頑張ったと思います。その中でも部会長以上はかなり大変です。委員長、フロアメンバーの皆さんも積極的に動いて、下から組織を支え大きな土台の元に上に立つメンバーがよりしっかりとした大きな土台で更により良い苫小牧地区大会にしていただきたいと思います。 
 今でも覚えています。当日、歴代地区会長の控室が市民会館の一番裏側で、控室に女性しかついていないこと、おしぼりが温かいのが用意してなかったこと。私はその連絡を受け直ぐに控室に駆けつけました。準備万端のつもりが、行き届いてない所がでる。苫小牧大会のあと、私は次年度網走大会の式典・卒業式部会長に連絡をとり、すぐに資料などをデータで送りました。また、網走大会では、歴代地区会長の控室のチェックと会場に付いていました。どう行動するかで自分の意識そして結果は変わってきます。皆さんには最初で最期の地区大会主管だと思います。最後の最後まで、より良い大会を目指してください!


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