「JCの思い出」

小保方 伸一

 JCを卒業してから、早いものでいつの間にか20年の歳月が過ぎました。JCには30歳になる昭和53年の後期に入会し、昭和63年に卒業しました。10年7ヶ月間在籍していたことになります。当時を振り返ってみると、さまざまなことが懐かしく思い出されます。

 入会して最初に配属されたのが青少年開発委員会で、委員長は樽前山神社の猪股さんでした。猪股さんとは、その後に出会った多くのJCメンバーともそうであるように、現在も親交が続いています。昭和53年は苫小牧で地区会員大会が開催された年で、通例の7月入会が1ヶ月繰り上げての6月入会になりました。入会したのが大会を目前にして最終準備に大わらわだった時期だけに、所属している青少年開発委員会の本来の事業はもとより、大会実行委員会の組織やその中での役割もよく分からず、やっと自分の所属する委員会のメンバーの顔が分かった位で、何がなんだか分からない状態で地区大会を経験しました。この年の夏、青少年開発委員会は千葉からのサマーキャンプ(このときは宿舎に泊まりテントではありません)の第一回目の受け入れを手伝いました。

 右も左も分からない中でのスタートでしたが、次第にJC活動にも慣れていきLOMの役員や、道南ブロック、地区協、日本JCへの出向も経験させてもらいました。地元苫小牧はもとより、全国各地から集まったメンバーと一緒に活動する機会を与えられたのは得がたい体験でした。

 いろいろなことを経験させてもらいましたが、なかでも印象に残っているのが、日本JCの「JC青年の船特別委員会」に出向させてもらったことです。
1982年6月に出港した「第12回日本JC青年の船」は新さくら丸(商船三井 13,082トン)をチャーターして、JCメンバーと外国人を含む一般団員の総勢約400名が、神戸港から台湾の基隆港を経由して香港に行き、帰りは沖縄を経由して神戸港に戻る2週間ほどの船旅でした。この船には苫小牧からも2名の女性が一般団員として参加しています。航海中は充実した講師陣(舛添要一現厚労相、国際政治学者のマイク望月氏、世界初の単独太平洋横断の堀江謙一氏など大勢)による研修や各グループによる演劇発表会そして船上パーティー(船長主催、委員長主催、etc )など目白押しのプログラムで大忙しでした。船内にはJCメンバーと団員の熱気に溢れ、発表会の準備などで、まるで毎日が学校祭か学園祭の準備のため合宿をしているよう雰囲気でした。各寄港地には2~3日間ほど停泊し、昼間は寄港地のJCの協力を得て見学や研修を行い、またホームホスピタリティーを通じて現地の人々との交流を深め、夜間は船に戻り宿泊すると云う日々でした。
船が神戸に戻っても、まだ事業の終わりではありません。各地のLOMに海外からの団員をホームステイで受け入れてもらい、日本の生活を体験してもらうプログラムが残っています。このプログラムには苫小牧JCも参加し、韓国JCの事務局員の女性と台湾のジャーナリスト志望女性の2名が苫小牧に来て、ホームステイ先には苫小牧から参加した2名の団員のお宅にお願いをしました。
この委員会での最後の仕事は、11月に韓国ソウルで開かれたJCIの世界大会に参加することでした。「日本JC青年の船」の事業がJCIの褒賞にエントリーしていたので、大会会場で事業のPR活動をしなくてはいけなかったからです。懸命のPR活動でしたが、残念ながら褒賞はダメでした。

 この文章を書いているうちに、忘れてしまっていた20年以上も前のJCの現役時代のことが生き生きと思い出されてきました。「当時、よくその様にハードなJC活動をこなす時間と体力があったなあ。」と感心しています。
最後になりましたが、JC時代のことを懐かしく思い出す機会を作ってくれた現役メンバーに感謝いたします。

次のご紹介者は、志方晴樹先輩です

【事務局より】
小保方先輩、貴重なご感想ありがとうございました。当時のJC活動の大変さが伝わってきました。現役メンバーも先輩方に負けないように頑張っていかなければと思いました。
次回は、小保方先輩よりご紹介を頂いた志田晴樹先輩です。お楽しみに!!

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