吉本光国君からOB徒然日記の紹介を受け、丹治秀章君より原稿を書くようにと依頼があり、ちょっと考えておりました。
 入会は昭和55年後期になります。当初例会にもあまり出席する事が出来なかったのですが、委員会より事業の出席要請がありまして、多くの事業に参加しました。その後、出向で日本JC・青年の船・道南ブロックと多くのJCメンバーと知り合う事になり、今でもお付き合いのあるメンバーも多いです。
 LOMでは、私のJCライフを変えた先輩の一人に渡辺健治先輩がいらっしゃいました。最初の出会いは、初めての委員長の時でした。おまつり委員長としてアクティブな行動や継続事業の見直し等、個性派のJCマンでありました。2度目は、私が2年間ほどJC活動を積極的に行えなくなり、このまま卒業して行く事になるなと思い、後3年で卒業と言う時期でした。渡辺理事長のもと、副理事長を受けた時から第2のJCが始まりました。この年は岩倉博文君が日本青年会議所副会頭として活躍した年でした。LOMでは副会頭のサポートを全メンバーで対応した1年でした。
 最終年度に理事長をやらせていただく事になるわけですが、この時ほど26年会のメンバーに協力を得た事はありませんでした。理事長になるやいなや、事務局費の値上げ、例会費の値上げをしなければならない事となり、LOM全体の変革のスタートでした。テーマ別に環境文化・交通体系・JC運営・政策等、委員会の見直しを行い、LOM運営を1年間考える年としました。その他には中学駅伝苫小牧大会がスタートした年でもありますし、2年掛りの全道大会の決定や、臨時総会で次年度を選挙にて決める事となり、当時OB会長でありました脇本先輩には大変なご迷惑をお掛けする事になってしまいました。
 卒業式最後の臨時総会では会費の値上げを通していただきJCを無事卒業する事になりますが、多くのOB諸氏や苫小牧市民の皆様、企業の方々にもご協力をいただきました事に対し御礼申し上げる次第であります。ありがとうございました。卒業して23年になりますが、今もJCを通じての友人や人との出会いを大切にしている一人です。
 最後になりましたが、吉本光国君並びに2年間OB徒然日記の原稿が止まっていたのをスタートさせた委員会に感謝して終わりとさせていただきます。

<LOM運営委員会より>
JCを通じての出会いや、感謝の心を常に持つ事の重要さが解りました。丹治先輩ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です