佐藤典正

 最初に、東日本大震災で被災された方々にはお見舞いを又、お亡くなりになられた方々にはお悔やみを申し上げさせていただきます。さて私、佐藤典正は平成5年後期に入会し、6年と6カ月在籍させていただきましたが当事はバブル期真只中でした。最初は親しい人も少なく、余り楽しく有りませんでしたが慣れるにつれ楽しさがまして、時代が良かったせいも有り又JC綱領が何かも忘れ、ネオン街が明るくなるような時間まで、委員会メンバー等と飲み明かしていました。さて私が思う中学駅伝が出来た経緯についてですが、以前の教育文化委員会の核となる事業は、千葉県の市原市より100人程度の子供たちが苫小牧の地で、地元の子供たちと合同でサマーキャンプを行うお手伝い的対応が大きく占めていました。千葉の子供たちには選抜するほど好評でしたが、地元の子供たちには不人気で集めるのが大変で地元の中学校を廻ってお願いに歩いた事を覚えています。つまり、地元に不評なことをこのまま続けるか、はたまたやめるのかという議論が有り最終的に縮小しようという結論に至ったという記憶が今でも残っています。
 当事、丹治秀寛理事長、青地洋一担当副理事長、中田秀樹室長の下、街づくり推進室教育文化委員会委員長を受ける事になり、すぐ組織作りに取り掛かりまりました。副委員長にはいままで一緒にやってきた仲間で、現在市議会議員を勤めている桜井忠さんと、後々に理事長もこなした村木透さんに引き受けていただく事になり、幹事には吉原成昌さんの3名を最初にお願い致しました。委員会事業としては縮小したサマーキャンプの対応と、今回新たな事業を委員会で模索して欲しいと言う事になり、バレーはどうか、相撲がどう等色々候補が上った中で、中学生を対象に駅伝をやろうという事になりました。早速駅伝事業に向かい、スタートしてみると事業の大きさに自分でもびっくり、どうして組み立てて行くかもわからない中まず市の青少年課へ伺い、当事担当の今田さんにお会いして色々なアドバイスを頂き、まずは走ってくれる生徒を預かっている中学校の校長会が、春先開かれるのでその場でお願いしてはどうか、との話しが有り参加依頼に伺い何とかなりそうだという感触を得ました。その後走るコースの許可も必要、長い沿道の警備をどうするのか、警察、町内会が協力していただけるのか、タイムは陸競さん、莫大な費用はどうするのか、理事会では激論が交わされ危うく、ケンカにまで発展するような場面が何度も有りました。又、人前で話すのが下手、苦手、そんな中、理事会には毎回雄弁な2人の副委員長、桜井忠さんと村木透さん時には吉原幹事と全員で望み理事会又、この事業に対する臨時理事会が定刻で終わった記憶がほとんど有りませんでした。2人の副委員長さんがほとんど私に代わって答弁、説明をしていただき私は頷いているだけでした。やっと理事会の承認も得て、本格的にロム事業4室で振り分け事業を行う事にこぎ着き無事、事業が成功する事が出来ました。これもひとえに担当事業を抱えながらも、お手伝いしていただいたロムメンバーの皆様と、当委員会のメンバーの絶大なる御協力に感謝し、簡単な文章ですが改めて当事御世話になりました方々にお礼を申し上げて終わりにしたいと思います。

[事務局より]
佐藤典正先輩、ご寄稿ありがとうございました。4室合同のロム事業の中学駅伝、大変参考になります。

次回は佐藤先輩からご紹介頂きました吉原成昌先輩です。お楽しみに。

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