松岡 桂

立春を過ぎてもまだまだ寒さの厳しい中、JCOB、現役の皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、平成10年に卒業致しました松岡 桂です。このたび同期の朝倉君の後を繋ぎ駄文ではありますが寄稿させていただきます。
まずは簡単な自己紹介を、私は以前、札幌の脳神経外科であります中村記念病院に勤務しており、リハビリテーション部主任を13年務めた後にカイロプラクティックカレッジに進み、縁あって苫小牧市内の整骨院に勤め1993年より表町で日本カイロプラクティックセンター苫小牧を開業しております。
 JC入会のきっかけですが、開業してから3年ほど経って大町歯科医院の加藤先生と知り合い、当事先生は拡大委員会に在籍しており、JCへの入会の誘いを頂きました。
その当時、センターの状況も安定しだして、札幌との縁も薄くなりだした時期で苫小牧でこれから一生頑張っていこうと思っておりました。
JCがどの様な団体でどの様な人たちの集まりなのかよく分からなかったのですが、苫小牧で友達を作りたかった事と妻の勧めもあり、市民会館に入会審査の面接を受けに行くことに。当日少し早めに着いたためロビーの長いすに座っていると同期入会となる高橋 憲司君が隣に座り言葉を交わすようになり、その後今まで縁が続いております。
その後無事入会の決まった新入会員のほとんどは今成委員会に配属されましたが、当時この委員会は大きな事業を控え大変状態でした。夜遅くまで事業の計画、例会の準備などJCの活動はこれほどまでかといきなり洗礼を受けた想いでした。
そんな状態ではありましたが事業は無事成功、JCメンバーにも参加していただき市民の皆さんにもよい評価を頂きました。
その後の打ち上げは、高岳のバーベキューで行われ、その時の今成委員長の涙は今も忘れません。
 その後私の最終年度木村 司理事長の年、委員長を命じられ、街づくりネットワーク委員会を勤めることになったのですが、当時私は理事長に、「この委員会は何を目標にどの様な活動をしていけばいいのかをイメージでもいいですから教えてください」と聞くと木村理事長は、「委員会のネーミングらしい活動を松岡の好きにやれ」との素敵なお言葉。なんとアバウトな理事長、惚れました。
それからの委員長としての一年間は本当にいい経験でした。
まずは街づくりに関与していると思われる団体をすべて揚げ、町内会からボランティア団体などすべてあげると5000団体をこえ、そこから100あまりの団体にアンケートを送り最終的に11団体に絞りレポートを作成、一冊の冊子にして発表させていただき、更に例会では、これらの団体の横のつながりや市民との繋がりをいかに構築するかを考え、コミニュティーFMの有用性を感じ、例会において模擬放送局をつくりメンバーの皆さんに提案させていただきました。
現在北海道には、20局あまりのコミニュティー放送局が今も市民のための情報を放送しており、人口10万人を超える都市でコミニュティーFMがないのは苫小牧市だけであり市民意識の向上や災害時の非常緊急連絡など、大いに意義のある情報ツールと考えます。
私はJC卒業の後、志を同じくする仲間とミニFMを立ち上げ、ゆのみラジオと銘打って正式なFM局開設に向け活動を続けております。
今現在は、アイスホッケーアジアリーグの実況開設を王子イーグルスホームゲームの時、白鳥アリーナにおいて苫小牧ケーブルテレビさんとのメディアコラボで生放送でお送りしています。また、スカパーチャンネルでも紹介されていますので是非見てください。
このように仕事以外でも生きがいや目標をもてたり、また知り合えることのなかった人との出会いなど、私にとってのJCは今までの人生の中でかけがえの無いものです。
現役の皆さん、このJC活動を心から楽しんで意義のあるものにしてください。
最後に、JCに誘ってくれた加藤先生、委員長にしてくれてむちゃぶりをしてくれた木村司理事長、苦労をともにした当時の委員会メンバー、そして今なお仲の良い同期の卒業メンバーにお礼を言います。どうもありがとう。そしてこれからもよろしく。

松岡先輩ありがとうございました!
JCで経験された活動を卒業後に志を同じくする仲間とミニFMを立ち上げ、現在でも活動しているお話は大変勉強になりました。私たちもこれからのJC活動の中で生きがいや目標を持ち仲間たちと共に大いに活動していきたいと思いました。
松岡先輩、大変貴重なお話ありがとうございました。
次回は、松岡先輩のお話にも出てきた平成10年度 第46代理事長 木村 司先輩です。
お楽しみに!

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