熊谷 卓

 1982年の川田理事長の年、前期入会の私はその前年の1月に3度目の転勤で苫小牧に赴任しました。上の子が5歳で3番目の子が1歳の時です。前任者が会員という事で業務引継ぎの色彩の強い入会でした。1984年道南ブロック出向から始まり正副委員長、室長そしてブロックスポーツ大会の応援団長と、企業出向メンバーとしては破格の役割を与えられ皆様の協力を得て無事に卒業する事ができました。JCメンバーへの感謝の気持ちで一杯です。
 子供が生まれてから、自分は今度も何度か転勤して歩くに違いない。そうすると私の子供達には故郷(田舎)は存在しなくなるのではないかと思っていました。JC活動に最初はイヤイヤながら参画しているうちに、神社の例大祭・港祭り・3LOM合同サマーキャンプ・スケート祭り等々の各行事へのお手伝いの様子を帰宅してから子供向けにおもしろおかしく話して聞かせてやるようにしておりました。子供達が乳幼児から学童になる頃です。そして様々な街の行事に父親が参加している事を子供達が見て知っていれば、子供達にとって苫小牧は故郷になるかも知れない。故郷らしい思い出のある街に苫小牧がなるかも知れない。そんな思い出を作ってやる事ができたらいいなと思うようになり、後半は時間の許す限り各事業に参加するようにしました。そんな訳で私の11年間の苫小牧は9年間のJCの思い出と等号(=)で結ばれています。
9年間の思い出といえば・・・・創立30周記念式典での道内初のレーザービームによる演出とその最中の次男の交通事故(軽症)、大学誘致運動では全国の駒女短OGへの署名依頼と署名簿を駒大本部へ持参し苫小牧に4年生大学開設をお願いした事、環道都圏会議(道央10LOMによるブロックを超えたJC運動体)への4年間連続出向と10市町長を招聘してのサミット、名古屋での世界大会、海洋少年団全国大会、宇宙少年団(YAC)世界ジャンボリー(アメリカ)参加、現役会員数が160名近くになり道内2番目の大LOMになった事、そして何人かのメンバーの結婚式の発起人に名を連ねた事などたくさんあります。
 しかし残念な思いでもあります。現役メンバーによる大事件(最初の除名処分)や交通事故により仲間が亡くなった事です。
JC卒業の翌年サラリーマン生活にピリオドを打ち苫小牧を離れました。自分自身がまだ若くて飛んだり跳ねたりできるだけの体力があった時期、子育ての重要な時期の第一段階とピタリと重なった時期、それが私の苫小牧時代=JC時代でありました。
 現在私は札幌手稲区で建築板金業を営んでおります。苫小牧へは1~2日は出向きますが、時間距離が短い割に苫小牧は遠い街になってしまいました。でも自宅の近くにある星置スケート場(アイスホッケー専用リンク)の駐車場に「室蘭」ナンバーの車を見かけると「あの車の中には、トレーニングの為にと苫小牧から子供を乗せて来たメンバーもいるんだろうな~」と感慨深く見ております。

 熊谷先輩、貴重なご感想ありがとうございました。現役時代にものすごく頑張って活動されていた事に大変関心致しました。OB方々エネルギーを見習って、自分達も頑張っていこうと思いました。
次回は、熊谷先輩よりご紹介を頂いた山崎肇先輩です。お楽しみに!!

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