大津山 峻

依頼された「人とのつながり・温故知新」と云う意味からいえば…….
私の過ごした86年度は数ある思い出の中から163名の100%例会を挙げたいと思いますね。
この最も内容の無い単純な、只集まろうと云うだけの例会は1986年9月3日・会員開発委員会が担当、委員長は紺野悟君、そして見事達成したのです。

この事業計画が浮上した時から、この大所帯この大人数で出来る訳ないし、不可能と誰しもが思い、まぁ、御題目として載せておくのなら良かろう程度の感覚でありました。
私も内心出来っこ無いな、との想いながらも、が、しかし理事長として「絶対に達成する」と豪語してしまい、委員長には大変なプレッシャーをお掛けしてしまいました。

年初より各委員会には自分の委員会メンバーにこの日の事を常に取り上げてもらい、我が委員会の未達がLOM創立33年目の歴史に汚点を残してはならない、と随分ご協力頂いたものです。
しかしながら、夏が過ぎる頃から、とても不可能だと事業に対する疑心暗鬼、焦燥感が漂い、ただ単に集まることに何の意義が有るのかと、嫌な雲行きに成ってまいりました。

紺野君は全会員に何度もメール(今様のメールではない)を送り、とにかく当日ニュー王子の会場に直進することを呼びかけ、個々人の予定チェックをスタッフ総動員で行い、一人ひとり虱潰しに出欠の確認を行っていったのです。
熱意は伝わっていくものです、LOM全体が段々と熱を帯びて来るのを感じました。
でも、メンバー163名には各々163のストーリが隠されており、遠隔地への出張があったり、痔の手術で入院中もあり、スリーピングで連絡不能など、あぁ、やっぱり駄目かと、絶望視したりで、それはそれは大変でございました。

JC運動とは何なのか?
それは、どんなに高邁な理念であろうと、どんなに素晴らしい事業であろうと、
「志を同じうする者」がとにかく相集い一堂に会さねば何一つ為されない、同志の結束から始まるものであり、スタートのスタートは先ずもって参加することにあるのだと強く感じた年でした。

当日は会場に専用電話を引き込んだり、8時のタイムリミットまでのカウントダウンをアナウンスしたりで、ひたすら時間の経過を見守るだけの例会でした。
テーブルは15の委員会別とプラス・ワンに設置され、随時100%を達成したテーブルからは歓声が上がっていました。
九州へ出張中のメンバーは宮崎JC例会場へ駆け込み私と宮崎JC理事長が電話でコンファメーションを行ない、入院中のメンバーはその所属委員会連中がなんと担架で病院から拉致した。
タイムリミットまで残り15分と成った頃、紺野委員長からあと一名、たった一名が未だ参上つかまつりませぬ、との報告があり、全員水を打ったように沈黙し会場入り口に視線を注ぎひたすら待ち続けたのです。
ついに残り時間があと5~6分となりやっぱり駄目かと皆あきらめ掛けたその時、入り口のドアが開き彼(誰とは申し上げません)が入場してきたのです、会場は「やった!やった!」と総立ちになり、歓喜と拍手が鳴り止まず、当の本人は一瞬ビックリしたように立ち止まりましたが、まもなく笑顔がこぼれ、なんとこの日一番のヒーローはスリーピング・メンバーの彼でありました。
こんなシンプルな例会だったのに目頭が熱くなったことを思い出します。

この結束力が功を奏したかその後、褒章特別プロジェクトスタッフの活躍によりこの時までの多くの事業を集大成しエントリー、この年の獲得した褒章は、日本JC最優秀賞一本、優秀賞一本、北海道地区協議会最優秀賞一本、及び優秀賞一本と大量の4個のトロフィーを獲得したのでした。
その他、道南ブロックスポーツ大会、応援団最優秀賞、ゴルフの部第一位等々….

そうして、この年の12月には後期会員合わせて171名の写真が名簿を飾っていました。

  数はやはり力なのでしょうか?!

次の紹介者 氏名 小保方 伸一 先輩です。

「事務局より」
すごい! 163名のメンバーによる100%例会、すばらしいお話を大津山先輩ありがとうございました。文中に「163名には163名のストーリが隠されている」と言う部分がありますが、この部分簡単な解釈をしてしまいがちですが、本当に難しく、デリケートな部分だと考えます。
各々のストーリは皆それぞれが、それぞれの立場で一生懸命活動し行動している事と思います。それを理解した上で、声を掛け仲間意識を持たせ足を運んでもらう行動を起こしてもらう事と言うのは、本当に価値のある結果だと思います。真の仲間作りはこのような意識から芽生えていくんだと感じさせて頂きました。貴重なお話ありがとうございます。

次は大津山先輩からご紹介を頂きました、小保方 伸一先輩です。お楽しみに

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