苫小牧青年会議所 設立55周年に寄せて

成田 繁

平成20年5月28日

 青年会議所の皆さん、創立55周年おめでとうございます。
 私は、今年齢83歳となり、振り返ると多くの先輩達は、すでになく、後輩達でさえ、ずいぶんと少なくなっております。なにか自分だけ取り残されたような、寂寞とした思いでおりますが、今年の理事長方針のひとつが、『温故知新』、私にも忘れかけていた思い出を述べるように、とのことですので、昔の記憶をたぐり、少しお話させていただきます。
 私が青年会議所に入会したのは、昭和31年、この年は本町の旧公民館で、全道大会が開催されたのをよく覚えております。
 昭和34年、朝倉次郎理事長の目玉事業は、『僻地教育振興運動』でした。当時の豊糠は雨が降ったら、ジープでなければ通れないようなところでしたが、メンバーの医師が、眼科や歯科の検診をし、NHKから借りてきた16mm映画の上映会や、子供達をジープに乗せ、グラウンドを廻るなどのイベントに、村中の人が集まり、大変喜んでもらったのを、半世紀たった今でも、よく覚えております。
 昭和35年の加藤悟理事長は、大変真面目な方で、若いメンバーが羽目をはずすと、“妻以外の女性と関係するものではない!”と説教をし、登別温泉でのセミナーでは、加藤さんとの討論が白熱し、気がつくと朝になっていたこともありました。若い日の活動への情熱や、元気を懐かしく思い出します。
 私が理事長に就任したのは、昭和36年。福原周一先輩が理事長になる予定でしたが、勤務先の三星の小林正俊社長が、社業に専念するためにと、一切の公職を辞退したため、専務の自分が理事長を受けることはできない、と固辞され、やむなく私に順番が廻ってきました。
 理事長になって初めての対外的な初仕事が、当時『金のたまご』と言われた中学卒業生の就職者激励大会でした。錦町にあった劇場遊楽館で、300名近くの中学卒業生を集め、激励の挨拶をしたことは、理事長になりたての私にとって、大変貴重な経験となりました。
 また、奉仕活動の資金集めのため、クラブを貸し切り、飲み物を寄贈してもらい、『経済人交流の夕べ』なるものを開催。当時としては珍しい<立食パーティ>の企画でしたが、年寄りからは“疲れる!”との苦情も多々ありましたが、この年になって、初めて“なるほどなあ”と、よくわかるようになっております。
 青年会議所の在籍は10年間でしたが、その間の経験と、多くの出逢い、人とのつながりは、その後も私の人生にとって、大きな財産となりました。
人生は長いようでも、時間はあっと言う間です。現役メンバーの皆さんが、これからも青年会議所を、自己研鑽の場、地域社会奉仕活動の場として、若い力を結集し、今しかできない、有意義な時間を過ごされますことを、遠い昔の先輩の一人として、期待しております。

次回紹介:蔵本昌明 先輩です。

【事務局より】
 成田先輩、当時の時代背景も手に取るようにわかる貴重なお話しありがとうございました。
 次は成田先輩からご紹介いただきました蔵本昌明先輩です。お楽しみに!!

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