成田 幸隆
1996年、夏も終わろうとしている9月。翌年の苫小牧青年会議所の理事長職を受けた私は悩んでいた。もう既にそのことを知っている周りの人々から励ましの言葉やJCに対する批判の声が相半ばして聞こえてきていたからだ。
批判の声のほとんどが「JCは偉そうなことばかり言っている」とか「やりっぱなしで継続しない」というような内容であった。確かにバブル経済が終わり、日本経済にも陰りが出てきた時期とはいえ、まだまだイケイケ状態の雰囲気が残る時代であり、JCの発言も天下国家的な提言や政策が多い時代であった。
「このままでいいのか?」と自問自答する日々が続く・・・・・「よし!原点に戻ろう」
JCは中央集権的ではない組織で、地方のLOM活動が原点なのだ!!もっとこの地域のことを考えよう。そう思った瞬間、また新たな疑問が頭を過ぎった「待てよ!我々自身、本当にこの街が好きなのか?」私自身は苫小牧生まれの苫小牧育ち、鮭が川に戻るように苫小牧に戻ってきたが、JCメンバーが皆そうだとは限らないかもしれないぞ。
私はメンバーに「苫小牧は好きか?」と言う事を何気なくリサーチすることにした。結果は驚いたことに、「そんなに好きではない」と言うメンバーの多さであった。
「これは不味い」こんなことで、この地域のことを考えられる訳が無い。我々がやらなければならないことは、まず我々自身がこの街を好きになることなんだ!!と思ってはみたものの、さてさて?どうしたものか。
今までであれば、事業や政策提言を考えるところであるが、「この街が好きだ」と言う意識改革をするのは初めての事である。この問題を「街づくり」をテーマに行政との連携を模索しようと考えていた公共政策研究委員会に担当させることにした。
この委員会は渡邊武志委員長、坂本将一副委員長、そして幹事に高橋憲司君(ホォ~!地区協三羽鴉?今思えば錚錚たるメンバー)でも、この時は入会3~4年目ですから、担当副理事長の木村司君とかなり語り合い、悩んだことと思います。
ちょっと余談ですが、この頃、形から入る私としては、「好きトマ」のマークが必要になると思い、知り合いのデザイナーにマークの原案を数十種類作らせていました。結果的に今もたまにJCで登場するマークにしたのですが、残りの数多くのデザイン画を、この先一番長くJCにいるだろう若い幹事の高橋憲司君に「将来、理事長になるときに使いなさい」とそっくり渡しました。
数日後、事務局にいると高橋憲司君が入ってきて、「理事長!頂いたデザイン画の封筒を無くしました」と明るい顔をして言うではありませんか、こいつは大物なのか?アホなのか?と思いましたが、今考えると大物だったのですね(笑)
本題に戻りますが、この委員会にはどうしても欠かせない外部のメンバーが必要でした。「街づくり」が最終目標ですから、行政との意見交換が不可欠なことであり、若手の市役所職員に参加してもらう作戦を立て、五十嵐氏(現苫小牧市役所経済部長)など数名に参加をしてもらうこととなりました。
いよいよ「意識改革の始まりだ」委員会名も「好きです!苫小牧」委員会と呼ぼう!!と言ったところ、渡邊武志委員長が一言、「理事長、まだ好きですと言い切れる自信が無いので“好きになろう”で良いですか?」、「エッ!!マジ?」・・・・・・・・・・・
成田先輩ありがとうございました。
「好きトマ」が誕生するまでの秘話を初めて知りました。当時高橋顧問も若かったのですね(笑)苫小牧をもっと好きになる為には、この街をもっと知ることが大切だと思いました。
そして、私たちが得たものを多くの市民の方々に発信していくことにより、一人でも多くの方が苫小牧を好きになってくれるとうれしいです。
成田先輩、大変貴重なお話ありがとうございました。
次回は、1997年卒業 福士雄二先輩です。
お楽しみに!