朝倉瑞昌
※卒業式に思う※
今年も卒業式の案内が届きました。JCは40歳で平等に卒業を迎えますから、在籍年数・役職に関わらず卒業式は感慨深いものとなります。
私が卒業したのは11年前の1998(平成10)年で、昨年で10年目の節目を迎え同期卒業生はみんな50代を迎えました。一年に何回か同期会(我々の同期は1958年生まれですので五八会「いつわかい」と言います)をしておりますが、卒業式の後もおなじみの店・同期である長野昇平君の「そーらん亭ながの」で同期会(酒飲みの愚だ巻会)を開催するのが年末の恒例となっています。
その中で必ず話題になるのは、自分たちの卒業式のことであります。そこで、11年前の卒業式についてお話を進めたいと思います。
この1998年まではJCの例会場は、まだホテルニュー王子(現プラザホテル)でした。次の年にはグランドホテルニュー王子がオープンしましたから、我々五八会の卒業記念品は現在例会で使っているマイク付き演台です。
現在の卒業式では、卒業生が企画を凝らした現役の送辞に、これまた企画を凝らした答辞で応じることが通例となっていますが、この原型が我々の卒業式の企画でした。
せっかくの卒業式だから思い出深いものに、自分たちも何か出来ないか、そんな単純な発想からスタートしましたが、プロデューサーを任されたのは当時マリオブラザーズの一人 松岡桂君、素敵なシナリオを創ってくれました。ソング(歌)とダンス(踊り)の華麗なミックス(融合)そんなテーマだったと思います。果たしてその内容は、ソングは当時の大ヒット曲 SMAP の「夜空のムコウ」・ダンスは「YOSAKOIソーラン」、タキシードからはっぴへ華麗なる変身。
はたして、言うは易く行うは難し、最初の練習は散々な状況、早くもあるメンバーからは止めた方がいいといった意見が、しかしそれからの特訓は目を見張るものがあり、寒風が吹きすさぶなか(この年はとても寒い霜月・師走でした)ストーブを最強にした真宗寺本堂(私の職場)で、最後は毎日のように夜遅くまでアルコールも忘れて取り組みました。最初は人前で歌うのはイヤ、最前列で踊るのはイヤと言っていたメンバーまでも、「オレがいやオレが一番前に出る」と言うようになり、上達は目を見張るものがありました(自画自賛)。
その結果、当日は予想以上の出来(本人達から見れば)に拍手喝采・カーテンコールも(若干の誇張あり)、しかし、当時の会員交流委員会から時間は20分程度と言われたのが実際はその倍もかかり、卒業式の時間が大幅に延長されることとなりました。この時間無視の伝統は以後毎年受け継がれることになり、まったく申し訳ない事です(ゴメンナサイ)。
今年も数多くのメンバーが卒業されることと思います。どうかJCライフの集大成の卒業式、地区でも全国でも卒業式は感動的ですが、やっぱり自らが育ったLOMの卒業式、オンリーワンの感動の中に迎えて下さい。
朝倉先輩、ありがとうございました!
今年の卒業式は、12月3日に行われます。
たくさんの功績を体を張って示し見せていただいた先行く友が、40歳の卒業を迎え、めでたく先輩となります。
思い思いのJCが各々の思い出となり、今後も語り継がれるJAYCEEとなるんですね。
今も昔も友は友、親友という友を多く得られるのもJCのすばらしさですよね。
朝倉先輩、ありがとうございました。今年の卒業式も数多くの先輩方の出席を心よりお待ち申し上げます。
次回、投稿者は 1998年卒業 松岡桂先輩です。ご期待ください!