2000年の夏に入会し、2011年の卒業まで、気づけばあっという間の私のJC生活でした。今までとは比べられないほど多くの人たちに会い、たくさんの素晴らしい友人と忘れられない思い出ができました。
 入会まもなくゴルフで八戸に連れて行かれ、毎週何度も飲みに誘われるもイヤという返事は許されない、大学のアイスホッケー部のような体育会系のノリの日々が数年ぶりに始まりました。いい大人が、いったい、これは何の団体なんだろう?と思う日々。そんな飲み会の連続から入ってしまったのですが、例会や理事会などでは一変して真剣に取り組んでいる。いったいどちらが本当のJCなのか・・・そんなことを考えながらのJC生活スタートでした。

 そんな私のJC生活で、特に忘れられない思い出と言えば、やはり2004年度に苫小牧で主管した地区大会がまず頭に思い浮かびます。JCって何だ? 地区大会って何だ? と、私はまだ理解しきれていないうちに地区大会を主管する話が決まり、よくわからないまま2004年度は喜多副理事長に誘われて総務室長、すなわち、地区大会主管実行委員会総務部会長を受けることになった私でした。当時の地区大会実行委員会は、坂本実行委員長の下、式典部会、懇親部会、フォーラム部会、総務部会と事務局という組織で構成され、辛くも濃くて楽しい一年でした。そんな2004年度の地区大会の舞台裏を少しだけ綴らせていただきます。

 2004年、理事長は渡辺武志先輩。毎月2回の理事会は、今のように資料を印刷したら100ページにもなることはなかったものの、本質をしっかりと議論する濃い内容が多かった。理事会終了後には坂本将一実行委員長が仕切る、理事会よりも濃い地区大会実行委員会が始まる。終わるのは早くて2時、3時。それが毎回。さらには臨時委員会まである。総務部会は縁の下で大会を支える屋台骨というイメージで、当初は5本の上程案件が気づけば最高で13本(最終的にはある程度まとめて10本?)となった。議論を重ねるごとに増える問題に、坂本実行委員長から「これ、どこの部会でやるんだ?総務か?」の問いかけ、いや、押しつけに近い依頼に、「なんで総務?」と当初は抵抗したものの、案件が増えるとだんだんヤケになり、気づけば「はい、喜んで!」と怒鳴り口調で答えていた私と喜多副実行委員長がいた。私たちが他の部会の質問をすると、話を戻すなと実行委員長に止められるようになり、自分たちの上程が終わると幸か不幸か途中で帰らせてもらえるようになったので、他の部会の案件の深いところは正直なところよく知らない。北海道地区の主管実行委員会でも、総務は簡単に終わらせろというアドバイスをいただいたので、上程というより報告程度だった。
 大会目前、苫小牧で行われた最後の主催実行委員会が終わり、その後の懇親会の某スナック店内では、気持ちが軽くなった渡辺理事長を筆頭に、汗だくの全員が裸にネクタイで肩を組んで大合唱するという、不気味でステキな光景があった。でも、何を歌ったんだ?

 総務部会は表に見えにくい所で地道に頑張っていた。大会当日は神事の設営、駐車場整理、バスの運営、宿泊管理など地味な作業の多い総務部会で、久保、尾野、亀谷委員長の下、委員会メンバーがきっちりと仕事をしてくれて私は安心していた。今でも忘れないのはナイト運営での久保委員長の素晴らしく鋭い動きで、各LOMメンバーを迷うことなく夜の街に送り出す様子は、他LOMからも絶賛されていた。
 当日の私はHQのグランドホテルニュー王子の一室に常駐することになり、地区大会全体のスケジュールを把握しながらもほとんど現場には行けず、とにかく大会が無事に進んでいてくれと祈るばかり。坂本実行委員長と中原事務局長は常にピリピリしているし、ホテル1階のエスカレーター脇ではJC以外のお客さんが通るにもかかわらず、宿泊担当がテーブルを置いて現金を数える異様な風景。Wi-Fiなんて概念すらほとんどない当時、メールを送りたいとHQに来ては私のPHSカードで通信しまくる人もいれば、夜中のHQではなぜか帯広JCのメンバー数名が誰かに怒鳴られている。その脇では、急遽作ることになったビデオを作成し終えた喜多副実行委員長が爆睡している。不思議な場所だった。

 私が実際の会場を見たといえば、大懇親会の大型テント設営が間に合わないとのことで手伝いに行ったことが一番記憶にある。数時間後には大懇親会が始まるのに設営が終わっていない。頼んだ5人ほどの作業員の働きが悪いのに口だけ動くので、昔の怖い親方のごとく、目に付く順に4人くらいに蹴りを入れて働かし、何とか時間までに設営を終わらせたということもあったような・・あの作業員たち、気合いを注入されてからは汗をかきながら働いていた。蹴りたくはなかったんだけどね。知らない作業員の皆さん、今さらながら、申し訳ない。

滞りなく地区大会は進み、大会の閉会宣言とともに、坂本実行委員長の目から涙が流れる。

CHANGE the Future

この大会テーマの下に、大きな不満の声を出さずにメンバー全員で頑張った日々から13年。メンバーの心を、苫小牧を、北海道を変える。そんな意味を持つテーマを掲げて行った地区大会だったが、どれだけの人の心に残り、変化することができたのだろうか。

 昨年、大会から12年目にして初めて当時の実行委員会メンバーが集まり、懐かしい写真や映像を見て大爆笑しながら大会を振り返りました。当時は口にできなかったことも、辛かったことも、今ではすべて笑い話。あのとき、北海道にまいた「変革の種」はどうなったのだろうか。次の苫小牧大会では、育った実を回収するのか、次の新しい種をまくのか。今後の苫小牧JCとメンバーだけでなく、北海道全体の発展に一石を投じる大会を、心から期待しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です