今年は、青年会議所から2件の原稿依頼がありその1つが錦戸委員長から会員拡大に関する事、2つ目はOB徒然日記の依頼。これは玉川健仁先輩の紹介で丹治委員長が訪ねてきた。
テーマは、現役時に一番心に残っている事、今の現役に伝えたい思い出や活動についての依頼であった。
玉川先輩とは、昭和61年度大津山峻理事長のもとで副理事長として共に活動させていただいた事が後のJC活動や運営に大いに役立たせて頂いた。
入会したのは、昭和55年前期に知人の後見人として入会した。
JC在籍11年での一番心に残っていることを大別すると1つが、入会から3年ほどは会に馴染めず、例会にも遅れてそのうちスリーピングメンバーの一人になった時、吉本俊憲先輩に声をかけられ、JCの良さや自分が感じている思いを理解して頂いた。その上で道南ブロックの国際室に出向して色々な人達に出会い自分自身の成長に繋ぐ事ができた。
2つ目は、昭和60年度岩倉理事長のもとで故針生青少年委員長・丹治国際委員長そして私はおまつり委員長として3委員会が相互に補完しながら千葉県市原JCとのサマーキャンプ、ニュージランドネピア市友好団の受け入れ、冬・夏まつりの事業でスケートまつりでは緑ヶ丘公園の樹木を支笏湖爆氷祭りに見立てた氷の造形とライトアップを施した。また、港祭りでは従来のパレードを変えネーミングをポートカニーバルとマーチングパレードなど事業の成功を願ってメンバー一丸となって頑張る事ができた。
3つ目は、昭和63年度田村理事長の時に前年度道南ブロック協議会会長から北海道地区協議会会長に岩倉博文君が会長に就任した。先輩たちが期待していた地区会長を支える立場に私が地区運営専務を担当する事になった。54青年会議所それぞれの活動があり、LOM運営にも特徴があり、それを束ねる岩倉会長はアクティブな1年だったと思う。就任早々京都会議、アジア大会(香港・マカオ)など、また地区内においては地区大会の在り方や登録料の値下げに伴う主管LOMとの打ち合わせ、更には函館JCの全国大会誘致など地区の事業が多く岩倉会長のフットワークで切り抜けた。
4つ目は、苫小牧JCが念願の日本青年会議所副会頭として岩倉博文君が推薦され就任した。私が副会頭を輩出したLOMの理事長に就任した。そして、忘れもしない昭和64年1月7日天皇陛下がご崩御され、会頭選出LOM大阪JCの新年交礼会が開催されるかもわからない状況でも出席のため千歳空港に向かい大阪に出発した。町並みは薄暗く、所々に黒の紋章と半旗が掲げられ昭和天皇がご逝去されたのが認識できた。
激動の昭和が終わり新天皇が即位し、新元号「平成」と制定され、平成元年の理事長としてのスタートであった。自分の第一歩が歴史の新たな一歩をふみだした1月当LOM新年交礼会は、記憶に残る交礼会であり、自分と同じ年にスタートする仲間はどう感じているかははかるすべがない。また、先輩諸兄から岩倉副会頭を会頭にと強い要請があり私は、南は北九州に、中部東海、関東にと奔走した事が走馬灯ように思い出され、結果として日本青年会議所監事として就任した。
気が付けば、JCを卒業して25年程になりJC行事を楽しみにしているが年1、2回しか参加できないでいる。また未熟な私が苫小牧JCじゃがいもクラブの会長をさせていただいているので、是非現役のメンバーや普段ゴルフをしているOB仲間の皆さんと会うのを楽しみにしておりますのでよろしくお願いします。
終わりに、JC会員(自分)としてかけがいのない貴重な体験や父親がなくなり後継者としての自覚・自立するため同世代との交流や仕事に対する価値観など経営者として必要不可欠な要素を学んだ事、JCに入会する事ができた事を心から感謝しております。今後も社員を入会させますのでよろしくお願いします。
<LOM運営委員会より>渡辺先輩ありがとうございました。国際的な活動のお話しや、他LOMとの交流のお話しがとても参考になりました。最後に非常に心強いお言葉をいただきましてありがとうございます!!