佐藤幸博

 徒然日記の執筆を頼みますとのFAXが桜田氏から入り、さて、この日記はと依頼者本人に聞くと、JCのホームページを見た方が早いとの事、早速ホームページを見ると、OB諸兄それぞれにJC活動を楽しんで来たんだなと改めて感心致しました。
 そこで、徒然の意味を今一度確認しておこうと辞書を引くと、する事がなく退屈な事とある、徒然とは関係ないが横の行には、つれないとある、意味は、気にとめなくて平気だと書かれている。その瞬間、ほっとして、今日に至り執筆が大変遅くなった事を、担当者に素直にお詫び申し上げます。

 11年間青年会議所に在籍させて頂き、在籍の半分は道南ブロック協議会に出向していました。1986年のアカデミー室委員に始まり、総務室役員、LD情報室室長、アカデミー室塾長、アカデミー情報室室長となり、意に反し出向していました。さすがに、ここまでブロックに出むくと、他LOMの役員から「何回目ですか、ブロック好きですね」と何とも、意味深なやさしい言葉を耳にする様になり、大きなお世話だと心の中で思いながらも又、それはそれで良しと自分に言い聞かせてJC活動をしていました。
1987年の時の道南ブロック協議会は、岩倉博文さんがブロック会長、運営専務に㈱於久仁の社長の不川智詞先輩が努めました。その時々の協議会の善し悪しは、会長然り、運営専務の腕次第で決まる所が何と言っても大きく、この頃からかもっと前からかも知れませんが、苫小牧から、日本青年会議所会頭、若しくは、副会頭に岩倉博文さんを輩出すると言う大きな目的がありました。その目的を成し遂げるには、道南ブロックの会長の任期中に岩倉さんに汚点を残す事は出来ないとの思いで、不川先輩は、岩倉会長を支えに支えて、ブロック協議会を運営していました。この時JCと言う不思議な心意気がある事を知りました。
 JC独特の慣習、行動、何とも言えない居心地の良さを、JCマンと言われる、誰もが身に覚えがあると思います。楽しいJC活動が出来る喜び、そしてJCを謳歌するのも、それぞれ出来る土台がある事を忘れないでもらいたい。そこの所を忘れるがために、言われていた事があった。「明るいJC、暗い家族、そして会社は忍耐」この不の部分の認識の無さが人生の岐路になる事もある。家に帰った時テーブルの上に離婚届けの用紙があったと言う本末転倒にならぬ様、自分を戒めてJC活動に邁進して下さい。

 最後に、自分事ですけれども、長年JCに染まってこれたのは、家族の中でも一番の理解者であった、亡き妻のおかげでした。それもJCでなく、JC会員だった自分を見守ってくれていた事に、あらためて、今になって、本当に今になって、しみじみと思います。生前、一言、一言です、礼を言っておきたかったです。ありったけの、ありったけの愛情をこめて「やえこさん ありがとう」と。

次回の筆者をご紹介します。
私の友人の一人で現在、市議会議員に返り咲き市政に情熱を注ぎこんでいる、桜井忠OBです。人生の浮き、沈みを(本人が重いからではなく)甘受し公僕として今頑張っています。

[事務局より]
佐藤幸博先輩、ご寄稿ありがとうございました。岩倉先輩、不川先輩とのブロック協議会でのエピソード大変参考になります。

次回は佐藤先輩からご紹介頂きました桜井先輩です。お楽しみに。

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