山川資

JCを卒業してから15年を過ぎようとしている。青年会議所には12年在籍させていただいたが、遠い過去の出来事のように想える。
振り返ると、我々現役時代には、青年会議所が、まるでこれが仕事であるようなメンバーがたくさんおりました。当時「青少年サマーキャンプ」(千葉県市原青年会議所と共催)という事業があり、自分が副委員長になった年の委員長は半年間ほとんど会社には出社していなかったようでした、社長からは「キャンプが終わるまで会社に来るな」とまで言われていたそうです。もう一人の副委員長はキャンプ終了後、その過酷な事業のせいか、入院する有様でした。事業規模も1000万超の規模という大型事業でした。委員会メンバーの自腹もかなりの金額(委員長は電話代月額10万円を超えていたはず・・・)になったものでした。
何故かこの事業が苫小牧青年会議所の看板事業でした。何故このような事業が始まったか、どうして千葉からフェリーを貸しきって苫小牧港に来苫するのか、団塊の世代の先輩に聞かなくては解らない不思議な事業でした。
時代の流れとともにこの事業は廃止となり多くの会員が内心「ほっとした」ものです。何回もこの委員会に配属となった会員も多々いたようで、本当にご苦労様でした。幸いにも私は、一回限りの配属で逃げ切れました。

自分が現役メンバーの時代はまさに「バブル」の時代。今とは別世界であったかもしれません。
当時はこのような時代が来ることなど予測していたメンバーはほとんどいなかったと思います。未来は明るい未来が待ち受けているとみんなが信じていたと思います。
現役メンバーの皆さんは、日本がどんどん地盤沈下して行く時代に青春時代を生きてきて、どのようなマインドで活動しているか、個人的にはとても興味深く感じております。
社会がどんどん縮小し、格差が拡大していく世の中で、青年会議所運動も厳しい環境におかれているものと推察しますが、低迷する時代の現役会員諸兄の活動に敬意を表すものであります。
青年会議所運動は地域社会が無縁社会になっていくなかで、地域社会を下支えする組織としてますます、その存在感を発揮できる団体であることは間違いなく、その重要性は高まっていると感じております。40歳までの限られた中で、青年会議所において、築き上げられた経験と友情は生涯、各自の財産となっていくことは、間違いありません。

 長い歴史のなかで、日本社会が豊な時代であったことは、ほんの一時期で、歴史的に見ればこれが当たり前と理解すべきでしょう。どうか現役メンバーにおかれては、この閉塞感に負けずに、苫小牧という地域社会に青年会議所という存在感を示して欲しいと、心から期待して終わりとします。

山川先輩有難う御座いました
こういう時代だからこそ、私達青年会議所メンバーが先頭に立ち、地域を変えていく活動をして行かなくてはいけないと思います。その為にも、市民の皆様に理解される活動を多く発信していく必要があると感じました。
山川先輩貴重なお話有難う御座いました。
次回OB徒然日記第27号は、1996年卒業山口志郎先輩です。
お楽しみに!!

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