木村 司

青年会議所を卒業して、早くも12年が経ちました。言わば、一昔、一廻り、一サイクルが経ってしまいました。歳を取れば取るほど1日が早くなり、1週間、ひと月、一年が早くなりました。卒業してからも、散々先輩、同年代、後輩、そして現役の皆さんにお世話になりながら、真剣に青年会議所を振り返ってこなかったのが現実です。この「OB徒然日記」の依頼を受け、どうしましょう、何を書きましょうと思っていましたが、OB300人居れば、300人の、500人居れば500人JC感が有って良いのだと思い、私なりの思い出を書かせていただきます。
私は昔から、JCには大きく3回の出会いがあると思っています。まずは、JC入会同期の出会いであります。年齢もバラバラ、職業もバラバラ、生まれ育ち、バックボーンの違いが有るにも拘らず、JCは一括りに新入会員と呼んでくれる訳であります。図らずも、同期の仲間が出来てしまう訳であります。二番目の出会いは、何年も繰り返す、毎年の委員会配属での出会いは、何事にも替え難い出会いの場でした。三番目の出会いは、卒業年度の同期生であります。JC年数もJC歴も、バラバラの人間が同期卒業と言う節目で出会い、葬式まで面倒見合うのかな~と(これは、まだ想像ですが)。本当に有り難い、出会いの場を与えてくれました。私の場合、この3回の出会い以外に、アイスホッケー同好会、じゃがいもクラブでの出会いも、忘れられないものがありますが、今回は本筋のJC活動に3回の出会いについて、書きたいと思います。
私がJCに入会したのは86年で、時の理事長は大津山峻さんでした。その前年の12月に苫小牧市に帰ってきたところでした。早速、アイスホッケーをしていると言うことで、ある先輩から半ば強制的に、入会をさせられました。これがまた、後で考えると、本当にいいタイミングで入会したなと、感謝しています。同期入会は、朝倉洋さん、故中村幹嗣さん、故橋本恵介さん、今井猛さん、佐藤旬一さん、佐藤弘さん、阿部明弘さん、遠藤連さん、大澤助三朗さん、成田幸隆さん、長野昇平さん、及川康志さん、中村英二さん、秋村裕一さん、と歳も一回り以上も違う、多彩な顔ぶれ、そうそうたる?顔ぶれ、と言うかバラバラな個性の集まりでした。このメンバーが不思議と仲が良く、入会年の86年から、ヤロウ会と名乗り、月に一回は飲み会や、その年の卒業生を送る会を開いていました。どれもメチャメチャで楽しい飲み会でした。平成元年に最初の卒業生が出る、と言うことでの福岡での全国大会に(渡邉理事長、岩倉圭彦次年度理事長)結構な人数で参加したのも、いい思い出です。ちなみにヤロウ会は錦町のスナックで、あるメンバーとあるメンバーが意味もなく喧嘩して以来回数が減り、秋村君の卒業を祝う会から、開かれていません・・・・。ア!3年前私の選挙の時に開いていただきました。感謝です!そろそろ、中村幹嗣さんと橋本恵介さんを偲ぶ会でも開きましょうか????!
二番目は、これは毎年のことですし、数年に一度しか積極的に活動しなかった私でも、平成5年の地区大会(田中理事長、朝倉実行委員長)での武田副理事長の下、室長をさせてもらった、経験や、色々な方との出会いや、思い出、エピソードは、数限りなくあります。が、ここは、97年、98年の「スキトマ」誕生を中心にしたいと思います。97年成田理事長から、政策担当の副理事長をやれ、との指示を受けました。委員会は公共政策と経済政策の2委員会。公共政策は市役所の若手メンバーとの協議を経済政策は商工会議所と絡むことで、苫小牧の現状を学び、将来の方向性を見出していきたいとの委員会でした。2委員会を束ねるのは、趙さんに室長をお願いしました。庭でのバーベキユー・パーティは楽しかったなー!チョコは元気にしているかな?公共政策の委員長は渡邉武志君、経済政策の委員長は本間裕章君でした。まずは、先進事例の八戸JCの「ラブ・はちのへ」を勉強に行こうと、新年交礼会にお邪魔して、色々聞いてまいりました。「全てのJC活動はその街を愛する気持ちから始まるんだ!」また「その街に住んでいる人の気持ち以上に、その街は良くならない」と言う事に気づかされました。副委員長の坂本君、幹事の高橋君も交え、毎日のように、今は無き「花丈」で飲みながら、議論を重ね、「もっと自分の住んでいる街苫小牧を知り、もっと好きにならなければ、いい街なんか作れない」。そこで「好き・トマ」だ!と言うキーワードが出来ました。それまでも、先輩方はその精神で活動してこられたのですし、今の現役の皆もその精神で活動してきているのだと思います。その精神的支柱というか、精神的意味合いを改めて言葉にしたのが「好き・トマ」だったのだと思います。市役所の12名の皆さんとの毎月開いた「好きトマ会」もいい思い出です。このメンバーが今、部長、次長、課長になっていて、市役所の中枢を担っていることを考えると、私自身、不思議な縁を感じます。
98年は、図らずも第46代理事長を勤めさせていただきました。副理事長には青木、橘、丸屋各氏にお願いしました。45周年記念行事「はぐくみ」を地元に根ざし、長く深く活動なされている、各種団体に皆さんを一同に会して開催させていただきました。JCは最古で最大のNPOであり、NGOだと言うプライドと誇りをもって、各団体のインターフェースとなりえるのではないかとの思いで開催させていただきました。ああだ!こうだ!と、色々言われて、大変だったよね~、坂本く~ん!!毎日のように、怒っていた渡邉君がまさかの地区担まで出世するとは、想像も出来ませんでした。名専務ありがとう!(今もお世話になっていますが・・・!)。
最後の出会いは、同期卒業の仲間です。32年早生まれと33年生まれの17名です。きっと、お坊さんも医者も居るので、一生を終わるまでの仲間になるんだと思っています。私や朝倉さんのように13年も15年もJCやってても、意外と接点のない方もいらっしゃって、卒業してからその人となりを感じ、親しくなるのも感慨深いものがあります。1958年生まれから、58会(いつわ会)ヤクザみたいな名前の会をやっています。私達の卒業式の出し物が歌だけ歌っていれば良いものを、誰が言い出したか、ヨサコイなんか踊っちゃいまして、今の長々やってヒンシュクの卒業式の走りだったのでは、と反省しています。今や,私たちが新年交礼会やビール例会、卒業式に一番出席している、年代になっているようです。最近出てこない、同期の仲間もちゃんと顔を出しましょうね!これからも、元気で、長生き、楽しく飲みましょう!最後に、先輩たちにお願いです。私達、若手の方のOBがメイン・テーブルに座ることの無い様に、ご出席よろしくお願いします!

木村先輩ありがとうございました!
JCでの3回の出会いは大変共感を受けました。同期入会での出会い、委員会配属での出会い、卒業年度の同期生とJCにはいろいろな人と出会う機会が沢山あります。これからも、人との出会いを大切にして多くの仲間を作り、JC活動に邁進して行こうと思います。
木村先輩、貴重なお話ありがとうございました。
次回は、平成9年度 第45代理事長 成田 幸隆先輩です。
お楽しみに!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です