藤島豊久
前号より・・・私が卒業したのは1992年でしたか。9年間在籍し様々なことを諸先輩方から学ばせていただきましたが、今その時に経験したことがたいへん役に立っています。前号で古木さんが日本宇宙少年団のことについて触れていましたので筆をとらせていただきました。
現在、苫小牧分団は30名余りの団員と設立以来活動を共にしているJCOBの古木匡司さん、朝倉 洋さん、そして苫小牧市科学センター現職の指導員の皆さんや元館長の杉山光二さん、細川正直さん、菅原章介さん、そして新しくリーダーになった元日本科学未来館職員甲野佳子さん等が活躍しています。分団は北海道新長期総合計画に記された15の戦略プロジェクトの一つとして航空宇宙産業を誘致する中での市民に対する広報運動として1987年7月に設立されました。当時の地元関係者のご努力により宇宙科学研究所(ISAS)や宇宙開発事業団(NASDA、のちに宇宙3機関が統合されJAXAとなった)が苫小牧東部で安全評価実験(ロケットモーター衝突実験)を実施する運びとなり大変大きな成果をあげていました。具体的な例を挙げますと、スペースシャトルチャレンジャーがリフトオフしてから間もなく爆発し、学校の先生を含む7人の宇宙飛行士が亡くなられたことはご存じの方も多いのではないかと思います。ケネディー宇宙センターから打ち上げられ73秒後に爆発し大西洋に落下したのです。ロケットが万一姿勢制御できなくなり、陸地に向かって落ちるということになると燃料を満タンに積んだブースターが住宅地に落下し大参事になることが予想されます。そこでエンジンの燃焼を中断して空中で爆発させ、出来るだけ被害を少なくしたり、地上に激突した際の影響度が計算上の値と合致するかなどを数年間実験したのでした。しかし平成6年、いつもは9月~10月にかけて実験していたのですが、一番天候が不順な6月に今まで以上の燃料を積載したロケットモーターの衝突実験をしたところ、近くの養鶏場で実験音に驚いたニワトリのひなが500羽ほど圧死してしまいました。折しも原燃の事故隠蔽が発覚して間もなくの出来事。どちらも監督官庁が科学技術庁。マスコミが大騒ぎした結果、NASDA本部(当時所在地は貿易センタービルにありました)で緊急会議が開かれ、苫小牧での実験は中止となりました。それ以降NASDAでは遠いオーストラリアの砂漠ウーメラで実験しなければならなくなりました。一方で苫小牧分団の運動も目標を失いかけましたが、実験とは別に宇宙開発関係者との出会いや実験見学などを通して多くの経験を積ませていただきました。
平成17年5月JAXAに宇宙教育センターが発足し強力なバックアップを得た日本宇宙少年団は、青少年教育のために新たな目標を立てながら活動を続けています。全国組織でもあり、団員約3000名、120余りの分団、約750名のリーダーで構成され、ほとんどの分団が各地のボランティアスピリッツに支えられています。運営方法や活動のノウハウ、特に全国組織の拡大や会議の手法、イベントの実施などはJCで経験したことがたいへん役に立っています。子どもたちを対象にした活動とは言っても分団を維持しているのは地元企業やリーダーです。活動最中の意見交換、他組織との交渉や交流、教材開発やリーダーの指導力向上など、全てをJC流儀に当てはめるわけにはいかないとしても充分に応用できます。全国に分団を拡大しているところですが、地域によっては組織運営が未経験のスタッフも多く、発足してから24年が経つ現在でも試行錯誤を繰り返している組織です。
日本全国の宇宙少年団が活動の基本としている「宇宙教育」はインターネット上で検索すると実に17,400,000件ヒットします。初代JAXA宇宙教育センター長の的川泰宣教授が宇宙と宇宙活動の素材を最大限活用し、青少年に潜在する冒険心・好奇心・匠の心に火をつけ、「いのちの大切さ」を基本に据えて、次世代の日本を担う青少年の人材育成に貢献することを目的として宇宙開発先進国と共に様々な活動を展開しています。宇宙を知らない人でも「宇宙教育」の理念や子どもの特質を理解している人、活動する上での危機管理や安全教育が備わっている人、もしくはこれから学ぼうとする人であれば世界中の誰もが仲間になれます。
飢えや貧困により明日の生活を確保しなければならない国。気候などにより宇宙が見えにくい国は宇宙に対する夢がなかなか育たないところとも言えます。また、宇宙が見える条件を充分満たしている国々でも、子どもの頃に抱いた宇宙への夢をいつのまにか頭の片隅に置いてしまい、本来は人類のために役立てるべき宇宙開発技術を残念ながら武器として利用している国もあります。今私たちに求められていることは、大人から子どもたちへの“夢を育てる継承”をしていくことです。家庭内や近所付き合いが希薄になりつつある現在ですが、今後とも家庭教育、学校教育と共に社会教育の役割は不変ともいえます。
JCに在籍していた9年間のほとんどが政策系委員会所属でしたが、今になって思えば他の委員会を経験していればもっと幅広い見方や仲間作りができていたのかなとも思いますし、同じ委員会に長くいたからこそ継続的に取組むことが出来、外部の人との信頼関係が確立できたのかも知れません。いずれにしろ私の人生に於いて大いに役立ちました。ありがとうございました。
おわりに、今回このような機会をいただき関係者の方々に感謝申し上げます。今後ともおおくのOBの方々からのご厚意が寄せられますようお祈り申し上げます。
藤島先輩ありがとうございました!!
宇宙開発に携わる方々の熱い情熱が、ひしひしと伝わるお話を頂き、大変貴重に感じております。本当にありがとうございました。又、様々な子供達に対して「夢を育てる継承」の部分は大変感銘を受けました。継続して取組む事の大切さも改めて考えさせられ今後のJC活動や運動に役立てられると考えます。本当にありがとうございます!
次回は1998年卒業の朝倉瑞昌先輩です。