岡部 照一
平成20年6月25日
苫小牧青年会議所 創立55周年おめでとうございます。
人口173,000人を有し、全道の中で5番目に大きな町、苫小牧市。港があり、空港があり、札幌に近い、たいへん恵まれた地域苫小牧ですが、中心市街地の空洞化が進んでおります。
一昔前、苫小牧で大型店と言えば、生協、農協、鶴丸百貨店といったところでしたが、1973年10月27日に木場町に長崎屋苫小牧店がオープン致しました。ちょうどその1年前、長崎屋が木場町に造るショッピング センターがあると言うので青年会議所同志 岩倉光博さんとアラスカのアンカレッジに見に行きました。その時、第33代理事長 岩倉博文さんがアラスカアンカレッジの大学生で留学していたと思います。
その後1975年、一条銀座アーケード建設一期が落成しています。その時の苫小牧の一条通りは大変な人の流れで、そんな時、苫東計画が発表され、国家プロジェクトで間違いなく苫小牧は人口30万人の大都市になると言われていました。また、元より、Jベルト地帯の新産業都市として、国家プロジェクト、公害も来るけれど発展することは間違いないと、職住分離で、生活は西、職場は東と決めたのです。それが全国にも発表になりましたから1976年、昭和51年12月25日、商調協が大型店問題で結審し、昭和52年11月1日 サンプラザ(17500㎡)が開店、その後、昭和53年5月1日 イトーヨーカドー(13500㎡)が開店いたしました。商工会議所が苫小牧の繁華街の人の流れの変化、通行量調査をした結果、1975年一番人通りが多かったトピア前では、1日1万人強の歩行者がいました。それが16年後には五分の一の2,000人です。それも今では歩行者はもっともっと少なくなりました。一方16年後、一番人通りが多い場所になった駅前の「ミスタードーナッツ」の前でも8,000人しかいません。どうも街づくりが悪かったと思います。
1977年、日本商工会議所の商業近代化実施計画策定地域に苫小牧が正式決定致しました。1977年6月11日、苫小牧市が駅前に市営バスターミナル476の駐車場を併設したビルの建設を発表、それを受け、苫小牧の商業近代化実施計画を担当する委員長 石原舜介 東工大教授が、市のバスターミナル計画を強く批判「実施計画から降りる」と爆弾発言。地元デパート近くに建設すべきと言って辞任しました。1978年2月24日、商工会議所が大型店凍結宣言をし、人口おおむね20万人に達するまで大型店の新規出店を認めないと決定しました。1978年3月24日、商工会議所が大型店凍結宣言について市内の消費者、5団体に説明しました。
1978年6月25日、錦町地区再開発期成会の設立総会、手を打ち始めたときはすでに手遅れに。この結果、繁華街だった錦町の一条銀座通りは、大町側3丁目あたりから物販ではやれないので、店を改造して貸店舗に。それが利用されない空店舗になり、辛うじて一丁目の店舗群が残っています。
激しく揺れている街づくり、中心市街対策の政策的意義とは、中心市街地は長い歴史の中で地域の文化や伝統を育て各種の機能を培ってきた「街の顔」であり、その空洞化は「コミュニティーの危機」です。それが今の現状です。
私達のJC時代1970年前後は世界の人口は35億人でした。今の世界人口は65億人。若いJCの皆さんが活躍される30年後、おそらく世界の人口が90億人になるはずです。地球の温暖化ひとつとっても大変な問題です。
苫小牧青年会議所の皆さん、好きトマ精神とその運動で街は1日で出来上がるものではなく、永い目で青年会議所運動の中で街をつくっていって下さい。
次の紹介者:石田 貢先輩です。
【事務局より】
岡部先輩ありがとうございました、中心市街地について我々青年会議所でもっと積極的に取り組まないといけないですね。今後の取り組みの中で是非検討していかなければいけないと思いました。
次は岡部先輩からご紹介いただきました石田 貢先輩です。お楽しみに!!